いたづき

2007年11月 8日 (木)

点滴生活 総まとめ

総まとめって程の事でもないのですが…

142_2 本物です。10月26日の検査結果です。小さいのでクリックして別窓で拡大ね。

ほかの数値はまったく問題ないのに、白血球とCRPが高い。特にCRPに関してはオドロキノ数字ですね。

ちなみに、CRPってのは、体の中に炎症があると高くなる。どれだけ炎症起こしてたんだか、私の体の中。

追記:今日、元看護師の知人に会って、CRPの件を話したら「馬鹿」と怒られました。基準は0.2なんだそうです。「私だったらぐたぐた言おうが即入院、て言う」と言われました。

もう一つ、ワタクシこの時点で微熱が2週間程続いておりました。 微熱が続くって事も矢張り体の中に炎症を起こしている箇所があると言う事で、たかが微熱と侮ってはいけないとつくづく思い知らされた今日この頃。

140 おまけ。これは一週間後点滴が肝機能に影響を及ぼしていないか検査してもらった結果。これもクリックで拡大ね。

模範生的な数値ですねぇ。まだまだがんばってもらいましょう、わが肝臓。(何を?:笑)

139 これがうわさ(?)の点滴。日に焼けてて病人らしからぬ腕でごめんちょ。

よく見ていただくと、チューブのところに瘤のような所があります。採血の時はここに針が刺さっていて(つまり腕側と採血側に針がある)採血がすむと針を抜いて点滴に繋げるのです。

情報によりますと、今年はマイコプラズマ流行るらしいですので皆様お気をつけくださいまし。

マイコプラズマはワクチンがありませんので、たった一つの予防法は、外から帰ったら手洗いうがいですぞ!

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点滴生活 最終日(仮)

今日こそは最後の点滴、これで腕の疼きともおさらば…だと良いが。

今日は採血と点滴の後、診察が入る。昨日医師が「採血で針刺しちゃうなら点滴も…」と言っていたので今度も採血してそのまま点滴に繋げるのであろう。点滴生活四日目の時、思わず目を逸らせてしまった採血の様子を今日はじっくり見てやろうと思っていた。

処置室で待っていると看護師が採血と点滴一式持って現れる。一週間も通っているとすっかり顔馴染みで、点滴の準備の最中なんかに世間話なんかも出てきたりする。私は看護師に採血用のチューブを見せてもらえないか頼んだ。この申し出に、看護師は快く答えてくれ、採血しながら説明してくれた。採血用の点滴チューブは腕に刺す反対側に試験管に刺す針が付いている。採血はここから行われ、採血が終わるとその針の部分だけ抜かれ、点滴袋に繋がれるようになっている。判って見れば簡単な事だ。

点滴が終わると診察室に呼ばれる。今日も医師はご機嫌が良い様だ。

「炎症の値(CRP)も1.7まで落ちましたね。標準値とは行きませんが、ここまでくれば内服薬による治療に切り替えても良さそうですね」

医師はマクロライド系のクラリシッドを処方してくれた。内服もミノサイクリンで行こうかと考えていた様だったが、副作用の少ないものとしての選択のようだ。どうやら点滴後の眩暈を気にしてくれていたようだ。

(お陰さまで眩暈はありませんが、残念ながら現在クラリシッドの副作用の胃腸の不調が現れております。とほほ)

私が心配していた肺の機能低下に関しても、組織が修復するまで暫く続くが元に戻るとの事だ。

様子を見ながら普段通りの生活に少しずつ慣れていく事、変わった事があればすぐに診察を受けるよう言われ、診察室を後にした。

会計を済ませ外に出ると金木犀の花が金平糖を散らしたように地面に散っていた。

「今年はこの花の香りを嗅ぐ事無く終わってしまったな」

寂しくもあったが、なぜか晴れやかであった。ゆるゆるといつもの生活に戻れる、そう思うと足取りも軽くなる。そして咳をする事無く小さな溜息をついた。

<了>

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2007年11月 7日 (水)

点滴生活 5日目・6日目(仮)

点滴生活も五日目を迎えたが特記する事も無く、点滴痛は相変わらずで、熱がどうにかこうにか37度台を割った事と咳が随分少なくなった事で体が回復している事を伺わせる。

只、昨日少し動きすぎた為か異様なまでに体がだるく、お弁当と朝食の支度をしたら咳込んでしまいフーフー言いながら布団に戻る始末。そんな私の元にみいがお医者さんごっこの格好をしてやって来て、聴診器とお熱を見た後、次から次へと私の横に蛙やら兎やらの縫いぐるみを並べて寝かしつけ「ねんねですよ」と言って去って行った。

六日目は「じっと我慢の子」の精神でいた為か比較的楽で、あれ程苦痛だった点滴痛から気を紛わす極意(?)を編み出した。くすっと笑える本を持ち込む事。くすっと言うのは重要なポイントで腹を抱えて笑える様な物ではかえって痛くていけない。この時は小栗左多里著「ダーリンは外国人」を持ち込んだ。この病院は本の種類が沢山置いてあり有り難い。

調子が良かったので昼食はフレンチトーストを作りみいと食べる。点滴も午後を残し後一回だと思うと気分も軽い。

しかし、そうは旨く行かないのが世の常。午後の点滴の最中、珍しく医師が処置室に現れた。「調子は良さそうですね」気味が悪い位ににこやかだ。「明日どうせ採血して針刺しちゃうから点滴ついでに打っておこう。今後は結果次第ね」私を入院させられなかったのがよほど悔しいか、何がなんでも点滴を打たせたいらしい。よって点滴生活は明日まで続く(予定)。

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2007年11月 6日 (火)

点滴生活 4日目(仮)

昨日しっかり休んだ事もあってか、何週間振りにすっきり目覚める事が出来た。外はまだ暗い。うっすらと朝の気配を感じさせるその空に月は白く輝いている。体も随分軽い。今日から少しずつ体を動かすつもりだ。

我が家はgasaさんの両親+祖母と同居だが、gasaさんの仕事の都合上、食事の時間が合わないのでキッチンは別にしてもらっている。朝食とgasaさんのお弁当を作ると、ダイキチとgasaさんが起きて来る。みいはねぼすけでまだ眠っている。台所にいる私を見てgasaさんは苦い顔をした。

朝食を食べさせ、ダイキチを玄関まで送り出し(最近ダイキチは同級生達と登園するようになった)、後片付けを済ますとあっという間に点滴に行かねばならない。今日は診察と採血もあるのだ。

待合室で暫く待つと処置室から名前を呼ばれる。採血をするものだと思ったのにベッドの方にと促されたので面食らっていると、点滴の用意をして看護師が現われた。いつもの様に「チクッとしますよ」と言って針が刺される。その針はどう見ても点滴針で、しかも点滴袋とつながっていない。チューブが途中で途切れている。再び面食らっていると看護師は採血用の試験管(真空採血管)を取り出し、どう言う仕組みでか血液を取る。長いチューブを通って試験管に注がれる己の血を見ていると、背筋に冷たい物が走る様な感覚がして、思わず目を背けてしまった。

気が付くといつの間にかチューブは点滴袋に繋がっており、チューブの中に僅かに残っていた血液も点滴液と一緒に、淡い網目の様な模様を残し私の腕の中に吸い込まれて行った。暫くするといつもの疼く様な痛みが現れる。これはやはり仕方が無いのかも知れない。

点滴が終わると直ぐに診察室に呼ばれる。目の前に座る医師は何時になく爽やかな顔をしている。何だ、こんな顔の時もあるのか、と思ったがよくよく考えて見ると何時も私がとんでもない状態だったからだと思い出した。

「随分良くなって来てますね」医師はそう言って検査結果を見せた。白血球は7800、CRPに至っては4と前回を遥かに下回っていた。「それでもCRPは標準値よりまだ高いですからね」そしてにこやかに言う。「明後日まで続けましょう。点滴」まだまだ無罪放免とは行かないらしい。

フラフラになって家に帰るとみいがお医者さんごっこの格好をしてやって来て点滴の跡をよしよしして「良い子でねんねですよ」と言って又行ってしまった。注射や薬なんかよりお前のよしよしの方がよく効くよ。

午後の点滴もやはり腕が疼き出し、それは肩の辺りまで登って来ている。一日二回の点滴でそろそろ体が疲れ始めているのかも知れない。

夕食の支度をするがフラフラし、gasaさんが帰る頃には床にへたりこんで立てなくなった。「今一番しなきゃ行けない事は何もしない事!」と怒られた。そんな事は判っている。しかしそうは出来ない。gasaさんに言っても判ってもらえないのでやめた。幾ら家族でも私はやはり嫁なのだから。

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2007年11月 5日 (月)

点滴生活 3日目(仮)

今日はgasaさんがお休みで「全部任せなさい!」と言ってくれているのでお言葉に甘えさせて頂く。よく出来た旦那様だ。朝食は朝食でお義母上のお世話になり、申し訳ないと思いつつ有り難い。

昨日の看護士の話では明日は病院は休日なので、電話さえくれれば点滴の用意をしておいて下さると言う事なので時間を見て電話をすると、いつも時間に来て下さいとの事だった。

外に出ると雲一つ無い空だった。恨めしい位に蒼空だ。「本当ならば今頃お山に一つ登っているんだがねぇ」側にいたgasaさんに言うと「そう、言うもんじゃない」と制した。「ほら、これで少しは見通しが良い」と車のフロントガラスを拭く。「だったら早く治しに行っといで」何も心配いらないよ、とその顔は言っていた。その顔にいつも私は甘えっ放しだ。私は少し苦い顔をしていたに違いない。小さく手を振って家を出た。

病院までの道程からは今日登っている筈の山が秋空にくっきりと姿を表している。悔しいが、今はその山に登ってやろうと言う気力も体力も無い。安静にしていても肩で息をしている自分がいる。

休日の病院は何やらいつもと違う世界の様だ。いつもの慌ただしさがまるで無く、時間が止まっているかの様。受付には誰もおらず、‘御用のある方は押して下さい’とインターフォンが置かれている。その赤いボタンを押すと、奥から看護師が一人小走りで現われた。診察券を確認すると処置室へと促した。すると電話がなり、彼女は追われる様に走り出す。それが終わると今度は何かの呼び出し。病院は休日でも彼女の時間は今日も慌ただしいらしい。何だか申し訳なくなってしまった。

やっと一息付き、私の方に向き「お待たせしてしまってすみません」と言うものだから「いえいえこちらこそこんなに忙しいのに」と何だか漫才の様だ。看護師に血管痛の事を話すと、「じゃあ、なるべく太そうな血管を探して刺しますね」とニコニコしながら慎重に血管を探る。「ちょっとチクッとしますよ」あっという間に針を刺すと手際良くテープで固定する。「何かあったら呼んでくださいね」にこやかに言うと足早に次の仕事に戻って行った。

有り難い事に今日は血管痛は殆ど無く、快適に読書を楽しめた。50分程の点滴が終わり看護師にお蔭で血管痛は殆ど無かったと告げると「今日打った血管がたまたま丈夫だっただけですよ」と謙遜した。

家に帰るともうすぐお昼で、久し振りに空腹を感じた。それでもいつもの様に幾らも食べられないのだが。昼食を済ますと、さあ行った行ったとばかりに六畳に押し込まれてしまった。

そろそろ寝ているばかりも飽きて来た所は回復している証拠か。購入したり図書館で借りたりしながらなかなか読めない本をここぞとばかりに読んでやる。何冊か読むともう午後の点滴の時間。読みかけの本を持って病院に向かう。

午後の点滴も先程の看護師がしてくれる。同じ様になるべく太そうな血管を慎重に探り、針を刺す。後は又50分程の読書の時間だ。持ち込んで来た本を手に取る。この本の主人公の尋常ならる病弱っぷりが、今の私の様で思わず笑える。今回も痛みは殆ど無く、あっと言う間に50分。今日は受付が休みだから会計は明日で、との事。看護師にお礼を言い、病院を後にする。

家に帰るとgasaさんが子供達と遊んでいた。どちらが子供か判らんなぁ、とニヤニヤしながら見ていたら「早く直したいなら、晩ご飯になるまで寝てなさい」と又六畳に押し込まれてしまった。私がまだ小学生の頃、肺炎になった父がこっそり病院を抜け出し、近くの喫茶店で暇を潰していた気持ちが、今何となく判る。そんな私の気持ちを知ってか、様子を伺いに来たgasaさんが「今は大人しく寝てる事に頑張って頂戴」と言って又襖をぱたんと閉めた。

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2007年11月 4日 (日)

点滴生活 2日目(仮)

【今はもう良くなっていますが、”どんな状態だったか記事にしてUPする”と予告してしまっているし、記事も一週間分書き上がっているので毎日一件ずつUPしていきますので暫くお付き合いの程。】

朝、なんとなく体が楽だった。否、楽と言うのには些か語弊がある。まだまだ頭も痛むし、咳も出る。それでも昨日までのそれと比べるといくらかは楽な気がした。早速点滴の効果が現れたのだろうか。それでも朝の体温は37.3度。まだまだ平熱とは言い難い。

私がマイコプラズマに罹ったと判ってから、六畳の和室に一人きり隔離されている。感染力は弱い、と言うものの家族内の感染もあるわけで、仕方の無い事だ。時々子供らが来て布団の上でごろごろ転がって遊んで行くが、呼び戻されるとさっさと行ってしまう。

楽になったと言えども、起きていると辛い。朝食をとっていたらしんどくなって来てしまって、早々に布団に潜り込む。とりあえず薬だけでも飲まねば、と内服薬を三種類多目の水分と共に飲む。咳止めや痰きりの対症療法薬だ。マイコプラズマ自体は私位の重症になると内服薬では効かない。今日も点滴を受けに行かねばならない。

病院の受付で診察券を渡すと、程なく声がかかった。今日は診察が無いので順番待ちも無く早い。椅子に掛け待っている他の患者の間をすまなさそうにしながら処置室へと向かう。

今日は雑貨やら手芸やらの雑誌をいくつか持ち込んだ。処置室のベットに横になると看護師が点滴袋を持ってやって来る。点滴袋にマジックで書かれた私の氏名とその中に溶かされている薬剤名の書かれた小さなシールを確認。私は病院ではこういうやり取りはちゃんと確認しておく。神経質だと思われるかもしれないが、お互いの為だ。こんなご時世、自分の身は自分で守らねば。

「ごめんなさい、少し痛いですよ」と言われると同時に鋭いものが皮膚を突破るぞくりとする感覚があった。看護師は点滴針とチューブを腕にテープで固定しながら「あまり動かすと針が皮膚を突破りますから気をつけて下さい」と枕元に置いた数冊の本にチラリと目をやり、物騒な事を言って立ち去った。

昨日の点滴後の目眩と頭痛は副作用かも知れないとの事で、今日は50分とゆっくりにしてくれている。この時間ゆっくり読書でも、と思っていると、針先から少し離れた辺りから疼く様な痛みがある。うまく刺さってなくて液でも漏れているのかと思うとそうでもない。我慢出来ないものではないが神経を逆撫でする様な感覚、しかし暫くすると消える。そして又同じように疼き出す。血管痛だろう。血管があまり太い方では無いので仕方が無いが、ちょっとしんどい。

本をパラパラめくっていると、割れたり欠けたりした陶器を修復する、金継ぎという手法が載っていた。茶道等では結構扱われていたりして、新品の茶碗より金継ぎした物の方が趣があるとして持て囃されたそうだ。材料も画材屋で揃うし仕上がりはどうであれ素人でも出来るそうだが、今の私にはいまいちピンと来なかった。多分元気な時であれば直ぐに画材屋に走ったであろう。飲み口を欠いてしまいそれでも棄てられずに花器として使っている陶製のタンブラーがあるのだ。

度々腕が疼くき、深く読む気にもなれず本を置き、ぼぅとして点滴は済んだ。腕の疼きを思うと午後からの点滴がとても憂鬱だったが、それでも体が幾分か軽くなっていると気付く自分がいた。

家に帰ると、やっと会えたと言わん許りの子供達の手厚い(手荒い?)出迎えを受け、フラフラになった頃に昼食。私が良くなるまではお義母上が三度の支度をしてくれる事になっている。同居は気を使うがこんな時は助かると思う。薬を飲みウトウトするともう午後の点滴の時間になる。

点滴は一日二回六時間明けてする様言われている。朝九時に行なったので午後は三時からだ。案の定午後の点滴も血管痛が起り、点滴を受けているだけで疲れてしまった。受付で午前と午後の分一緒に会計する。診療明細には注射110点としてある。1点10円なので点滴一回当りは550円。妥当な数字かどうかはさておき、効かないドリンク剤を飲むよりはましか。しかしながら3割負担で点滴のみで言えば払った金額は330円、後は日本の医療財政の破綻に荷担していると思うと心苦しい所。それよりも取り敢えず早く帰って休みたい。私は夕暮れの病院を後にした。

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2007年11月 3日 (土)

点滴生活 1日目(仮)

天井から吊り下げられた点滴袋からぽたりぽたりと落ちてくる雫をぼんやり眺めている。雫はゆっくりと管を通って、腕に刺された針から静脈へと流れていく。

私は今、先程診察室で点滴を受けるよう指示され、処置室に来ている。

塩酸ミノサイクリン100mgを100mlの生理食塩水に溶かし静注点滴。これを六時間の間隔をあけ一日二回。これを受けに自宅から病院に通う事が出来れば入院は免れる。

しかし、裏を返せば「通う程の体力が無ければ即入院」と言う事だ。

実際、マイコプラズマ肺炎の患者は外来で治療を受ける事が多い。肺炎で言えは割と軽度な部類であるし、予後も比較的良い。感染力も比較的弱く、咳や痰が酷くなければ学童期の子供であれば登校しても良いそうだ。

投薬に関しても、マクロライド系やテトラサイクリン系の抗生物質の経口投与(細菌ではないのでペニシリン系やセフェム系は無効)での治療も可能だ。

…なのに何故点滴なのか。

経口投与では追っついて行かない、そう、私はマイコプラズマにおいては重症例なのだ。

入院を免れたものの、嗚呼…

何とはなしに溜息が出る。

そもそも気管支炎と高をくくったのがいけなかった。みいが回復して行ったのだから暫くしたら私も良くなるだろうなどと思ったのが落とし穴だった。

マイコプラズマは乳幼児は比較的軽症で済み、風邪として診断され終わる事が殆どだが、二回以上罹った時は重症になりやすい。

年がら年中コンコン言っていた私が、罹っていない筈が無いのだ!

そう思うと又溜息が出る。

溜息をつくと咳が出る。一度出た咳は気管支を刺激して次から次へと出てくる。呼吸が出来なくなり、苦しい。一旦息を止め、ゆっくりと吸い込むと落ち着いた。

”情けないねぇ”思わず自嘲じみた笑みが口元に浮かんだのに気付き、慌てて止めた。

”つまらない事は考えないほうが良いのさ”又点滴の雫に視線を移す。”明日っから本でも持ち込まなきゃね”

医師は1時間程かかるといっていた点滴は40分程で終わった。針を抜いてもらい、処置を終えてベットから起き上がろうとすると、途端に天地が判らなくなり、同時に激しい頭痛に襲われた。

慌てて近くにいた看護師が手を貸してくださる。暫くじっとしていたら眩暈も頭痛も治まっていた。「暫く休んでいかれますか?」の問いを私は大丈夫だと断った。本当に重病人みたいで嫌だった。

受付で会計を済ませ病院を出ると外は既に暗い。

”何時までこんな調子でいるつもりか”外気も冷たくなっており、思わず咳を誘う。咳が出そうになるのを必死で止める。”病気が治る頃には私の腕は注射針の跡だらけだ”そうして静かに溜息をついた。

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2007年11月 2日 (金)

ここ数週間苦しめられていたものの正体

あくまでも仮定ではあったが、私には一つの答えが見えていた。気管支炎と下された診断の陰に隠れて見えなかったもの、長引く乾いた咳・激しい頭痛・何日も続く微熱と時折38度台になる熱、それは。

目の前にいる医師もほぼ断定できたようだ。前回の診察時に別の若い医師が書き込んだカルテを見、その若い医師が聞き逃した肺雑音を探り当て、私を問診して得たその答えは。

「…マイコプラズマ(肺炎)、では無ければいいのですがね…」

マイコプラズマ肺炎とはマイコプラズマ・ニューモニアと言う細菌とウイルスの中間に当たる病原体に感染してかかる病気。感染経路は主に飛沫感染。症状はまさに私の通りで、しかし、肺炎特有の肺雑音が初期の段階では認められないことも多く、見落とされる事も多い。血液検査をし、マイコプラズマ抗体が陽性を示した時に初めて診断が確定する。只、その抗体が陽性反応を示すのも感染してから2~3週間してからであるが。

前回、見落とされた事も仕方が無いと言えば仕方が無い、それは私にもわかっている。喩え血液検査をしていたとしても同じ事だ。

医師は看護師にレ線と血液検査の準備をするよう指示、もう一人に「サットを持ってきてくれ」と頼む。看護師が持ってきたものは25mm×40mm位の黒いクリップ様の物、パルスオキシメーターと呼ばれる物。動脈血酸素飽和度を測る機械だ。私の指に挟み、暫くすると数値が95と出る。正常値が99~94なのでまあぎりぎりといったところか。

処置室に移り、採血をし、レ線を撮って待つ事暫し。

名前を呼ばれ診察室に入れば、渋い顔をした医師が待っていた。

「マイコプラズマ陽性ですね」そのデスクの前にあるシャウカステン上の胸部レ線写真はスリガラス様に白く滲んでいる。

「入院したほうが良いですね」

”したほうが”の裏に選択権がまだ残されていると見た私はすかさず

「無理です」ときっぱり食い下がった。

医師はいよいよ顔を曇らせ、先程の血液検査の結果を見せた。CRP値が8.7と異常なまでに高い。

「…これはね、苦しい筈ですよ。よく我慢してましたね」

暗に「こんなになるまで放っておくものではない」と私を窘めているのだ。

ちなみにCRPの正常値は0.9以下で、これは別の時に聞いた話ではあるが、ある病院では10以上を入院レベルとしているらしい。

「本当ならば入院して安静にして頂きたい状態です。しかし小さいお子さんもいるので大変でしょうから―」

毎日点滴を6時間空けて二回受ける事。

絶対に安静にする事。

この二つの条件を飲む事が出来るなら外来での治療を許可する、医師はそう告げた。

「判りました。よろしくお願いします」

その言葉を聞くと、医師は看護師に点滴の準備を促した。

「それでは今日から点滴による治療を開始します」

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2007年10月10日 (水)

感謝

少しだけ眠い。

みいは先程から机の上に画用紙やらクレヨンやらを広げてお絵かきをしている。

壁にもたれ、眠りに誘われる様に少しまどろむ。

まどろみながら、想う。

今まで出会ってきた人達の事を想う。

こんな私が30年近く生きて様々の人達に出会い、嬉しい事も楽しい事も悲しい事も辛い事もあった。

自然淘汰されずに生きてきたお陰だ。

喜びも苦しみも悲しみもひっくるめて今の私に繋がっている。

多くの人達との出会いがあったからこそ今の私がある。

こんなこと想うのは矢張り弱っている為か。

それでも私はこうして生きている。

これからも天から与えられた命尽きるまで生きていたい。

…何処かで私を呼んでいる。

キーの高い幼い声、いつも私の横にくっついているその声だ。

私は声に呼び戻される様にゆっくりと目を開く。

「じょうずにかけたんだよ、みて!」

私が、こうしてここにいるすべてに。

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負けそうな気持ち

4日にブログをUPしてから、子供の生命力は凄い物でみいは目に見えて回復していったが、私はどんどん症状が悪化し、薬と熱の為朦朧としている状態が続いた。

朦朧としながら子供の頃に思った事を思い出していた。

その頃私は体が弱く、保育園も休みがちで両親は共働きだったので随分と母に迷惑を掛けた。

小学校に上がっても、登校してもすぐに帰宅させられることが多々あり、一人お布団の中に潜り込んで考えていた事だ。

今はこうして生きていられるのだけど、世が世なら私は自然淘汰されていたであろう身だな、と。

そして、こんな自分がこうして生きている事さえ罪深い事だと思うこともあった。

…こんな事を思い出すのは心も弱っているからだ。体が弱ると心も脆くなるのだ。そんな過去を回想するのはもうやめよう。

一陣の風が吹き、木々がざわめく。

黒い雲が流れていく。

…私はここに生きている。それで良いではないか。

湿った風が又一陣。

雨が近い。

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